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赤ひょうたん直系の方から連絡いただきました(追記・修正あり)

この項2023年11月12日追記:
いまだに「赤ひょうたん」で検索してこのエントリにたどり着かれる方がいらっしゃいますので、ひとまず現状をお伝えしておきます。
「赤ひょうたん」は支店を含め今は存在せず、このエントリに出てくる「LISTA」も既に閉店しています。神戸・板宿にあった「Popboy」はご主人が勇退され、店舗も別のものに建て替えられています。京都・河原町の「サンチョ」は盛業中で、かつてのドレッシングを味わえるのはここと支店の伏見店だけだと思われます。

かつて神戸にあったサラダと洋食のお店・赤ひょうたんには、いまだに多くのファンがいらっしゃいます。旧ブログでも「赤ひょうたん系」というカテゴリを独立して作っており、いまだにひょっこりコメントをいただいたりするのですが、先日ちょっとびっくりすることがありました。なんと、創始者の直系の方からコメントをいただいたんです。
ネットの世界ではなりすましなんかもあるので、最初は半信半疑でした。でもコメント内容からすると本物っぽいしと思いつつ、その後コメント欄やらメールで色々やり取りして、間違いなくそうだと確信しました。

赤ひょうたんメニュー
決定的証拠がこちら、ファンが見たら涙モノの赤ひょうたんのメニュー。(2度クリックで大きくなります) この野菜のキャラクターに見覚えがある方も多いでしょう。このメニュー、なんと送っていただいた方(西本さん、後述)の実家の食器棚の中敷きに使われていたのを発見したのだとか。いつの頃のものなのか、どこの店のものなのかは不明ですが、サラダメニューが3種類しかなかったんですねえ。

以下、これまでのやり取りで判明した事柄を箇条書きで。

  • コメントいただいた西本さんは、東京在住・新中野駅近くの「リスタ」というイタリアンレストランをなさっているそうです。(追記)リスタは閉店となりました
  • 「赤ひょうたん」という店名の由来は、戦後復興時ほぼバラックの焼き鳥屋さんおでんや屋さん「赤ひょうたん」さんに間借りしていたから。(注:焼き鳥屋さんは勘違いだったとのことで訂正しました)
  • 前身(修業先?)は西宮にあったステーキのA-1。恐らくは現在では神戸三宮が本店のA-1の前身ではなかろうかと。(注:後に記憶違いと判明。A-1は赤ひょうたんのいわば兄弟店としてオープン、その後分離独立。今の生田神社横がA-1発祥の地か)
  • メニューのイラストを描いたのは、建築家の安藤忠雄さんの双子の弟さん(北山創造研究所代表・北山孝雄さん)だと聞いているとのこと。(注:その後、弟さんの奥さんの若い頃の作品かもしれないとの説あり)
  • 昔は若き芸術家や欧米人の溜まり場だったようで、鴨居玲さんの渡仏前の絵などが残されてるとのこと。

…うーん、ほんまかいなと思わざるを得ないエピソードがゴロゴロしてますねえ。安藤忠雄さんに双子の弟さんがいらっしゃったこと自体も知らなかったし、鴨居玲さんといえば神戸と縁が深く、よく通っていたと言われる三宮の「でっさん」というバーに行ったことがあるなあとか、いろんなことが頭に浮かんできます。西本さんは赤ひょうたんのレシピブックもお持ちだとかで、こりゃあまだまだネタがゴロゴロありそう。東京に行く機会があれば、直接お目にかかって色々お話を聞かせていただくことになっていますので、後日改めてエントリする予定です(時期未定)。乞うご期待。

コメント

  1. manna より:

    初めまして。私は、「ミッチャン」を検索して、旧ブログを知りそれ以来ずっと拝見しております。
    初めてコメントします。
    私が子供の頃、父が大阪の阪急三番街にあった「赤ひょうたん」に良く連れて行ってくれました。
    野菜嫌いでしたが、赤ひょうたんのサラダは、ドレッシングの美味しさで食べる事ができました。
    大人になって、このブログで「赤ひょうたん」を思い出して父と盛り上がりました。
    私が連れて行ってもらった頃は、アメリカ産の輸入肉を使用されていたのですが、父が通いだした頃は、輸入肉が解禁されておらず、「赤ひょうたん」で、安くて和牛が食べられるから通っていたそうです。
    そんな父も去年他界してしまいました。
    私にとって、「赤ひょうたん」も「ミッチャン」も父との懐かしい思い出がいっぱい詰まったお店です。
    その幸せな頃を思い出させていただいて有難うございます。

    • ish より:

      mannaさん、嬉しいコメントありがとうございます。
      赤ひょうたんネタは、いまだにちょくちょくコメントをいただく息の長いネタです。もちろん僕もファンですが、多くの人に愛されていたんだなあといつも実感します。
      旧ブログもお読みいただいているようなのでご存じかも知れませんが、赤ひょうたんの味を味わいたいのなら、神戸のPopBoyさんか京都のサンチョさんへ是非行ってみて下さい。
      うまくいけば8月には上京出来るかも知れません。直系の西本さんからどんなお話が伺えるか、僕も楽しみにしています。
      今後ともどうぞよろしくお願いします。

  2. manna より:

    ishさん、お返事有難うございます。
    私は、京都在住でサンチョは、良く行っています。
    赤ひょうたん系のお店とは、知らずに行っていたのですが、ishさんの旧ブログで知り感慨深いものがありました。
    板宿のPop Boyさんも旧ブログで知りいつか母を連れて行ってみたいと思っております。
    素敵なフログを有難うございます。
    こちらこそこれからもどうぞ宜しくお願い致します。

    • ish より:

      そうですか、サンチョには行ってらっしゃるんですね。
      是非お母様をPopBoyさんに連れて行ってあげて下さい!
      そして、古き良き時代の神戸を、お父様との楽しい日々を思い出して下さいね(^^)

      • M より:

        なるほど、懐かしいですね。

        赤ひょうたんか。
        もし良かったらメール下さいね。

        機会があれば、
        赤ひょうたんの話しましょ。

  3. Melody より:

    すごい話でびっくりしました。えて吉さんのミーちゃんといいびっくりしてます。
    赤ひょうたんと縁がおありなんですね。
    また続編を楽しみにしています。

    • ish より:

      Melodyさん>ほんと、びっくりしますよねえ。
      赤ひょうたんと縁があるというか、たまたま僕が書いたエントリに、多くの赤ひょうたんファンが集まっていただいたおかげだと思っています。
      うまくいけば8月末には上京して、西本さんにお目にかかる予定です。
      どんな話が飛び出すやらお楽しみに。

  4. 堀 真通 より:

    お久しぶりです。
    2008年、2009年にお邪魔しました堀です。
    赤ひょうたんのメニュー懐かしく思い出が走馬灯のように流れ 涙が出てきます。
    西本さん懐かしいですね。初めて関西弁で話しかけられたのも元気な西本さんでした。
    東京渋谷で大変お世話になりました。その後1992年に新宿住友ビル店舗でお会いしました。
    メニューは、各店舗共通だったと思います。
    サラダのメニューが少なかったのは、サラダボールにてんこ盛りでしたが、他の料理にもシルバープレートに付け合せとは言えないほどのてんこ盛りのサラダが付いていたために お客様は、八割方他の料理を注文していました。
    最近又、ニュース出サラダの店が流行りだしたとの事、赤ひょうたん復活をしてほしいものです。
    体が動くうちに神戸にある、「ランチボックス」伺おうと思っています。

  5. ish より:

    堀さん>
    コメントありがとうございました。さんちかのランチボックスはだいぶん前に閉店してしまいました。神戸なら板宿の「Popboy」さん、京都なら「サンチョ」さんが赤ひょうたんの味を引き継いでおられます。

    【旧】foodish:”雑”食記 | やっぱりおいしかった!PopBoy(神戸・板宿)
    このブログは移転しました。移転先はです。
    【旧】foodish:”雑”食記 | サンチョ(京都・裏寺町)
    このブログは移転しました。移転先はです。

    下記も是非ご覧下さい。

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    洋食/赤ひょうたん系

  6. 仲 謙二 より:

    もうびっくり! 
    61歳のまだ現役サラリーマン 神戸生まれ 22歳から卒業後 東京にて就職 現在に至る。 
    このページをひょんな事から見つけ 思わず コメントを。(仕事中!) 嘱託は気楽・・・
    大学2年から卒業まで1976~1978に 赤ひょうたん サンプラザ店でバイトをやっており
    当時 さん地下店 有楽町店と3店舗ありました 当時の社長や店長ともバイトながら仲良くしてもらい 楽しい思い出しか残っておりません。 帰省の度にちょくちょく顔を出してましたが
    子供も大きくなり 帰省する機会も減って いつぞや 閉店して残念でしたがそのまま時が過ぎ
    まだ関連のお店の話や 知ってるコアなファンとふれあい 気分の良い 仕事中でした (笑)

  7. 仲 謙二 より:

    情報 ありがとうございます
    渋谷店? 全く話題にならなかったか記憶が飛んでるかですね!
    私の時代は サラダだけで15種位は バター炒めとハンバーグ チキンバスケットで
    ほぼ売り上げの90%位でしたね。 この時にドレッシングの作成や 包丁の扱い 簡単な調理まで 教えてもらい 就職も真剣に奨められました。 ホントに良い時代でした。
    時給が320円から350円位で終わったかなぁ~ 古き思い出です

    • ish より:

      近々赤ひょうたんがらみでいくつか情報お伝えできる予定です。
      どうぞお楽しみに。

  8. 津田裕子 より:

    何となく「今赤ひょうたんは⁉️」と思い出し、検索してここに行き着きました。
     私、現在80歳、小学校入学前後、三ノ宮に住んでいた頃、父に一度だけ連れていって貰いました。その頃は居酒屋だったと聞いていました。建設会社に勤めていた父は仕事が終わるとお仲間とよく行っていたようです。
     神戸駅の近く。もしかしたらガード下にあった暖簾のかかったお店だったと思います。何を食べたかは覚えていませんが、サラダではありませんでした。日頃両親がお店の話をしていたことを覚えています。
    主人夫婦と交流があったようです。その後、引っ越した甲子園口の家に、届いた鶏肉を見て驚いた事は、モツの中に殻のない卵を見つけたこと。いつもの卵の味とはちょっと違いましたね。
     その後、父の転勤で東京に越して数年後、父から「赤ひょうたんサラダ専門店になったって。京都にもミセヲダシタラしい」と、聞きました。その後、渋谷に支店が出来た時に連れていってくれました。木製の器に今までに食べたことのない量の生野菜とハムや鶏肉・魚介類に魅せられ何回か通いました。その内他にも支店が出て、日比谷で映画やお芝居を見た時、結婚してからも家族で行った懐かしいお店です。その内忙しくなり行くことも減り、数年後渋谷で探した時は見付からず、日比谷に行きましたが、何となく味も雰囲気も変わった感じがして、それ以後は脚が遠退き、父も他界して忘れるともなく忘れていました。
     
     と言うことで、「赤ひょうたんは、居酒屋からサラダ店」になったお店です。
    息子さんに代替わりした時に代わったようです。
            2023.11

    • ish より:

      津田裕子様>
      コメントありがとうございました。赤ひょうたんの店名は「戦後復興時ほぼバラックのおでんや屋さん「赤ひょうたん」さんに間借りしていた」のに由来していると、このエントリにも記載しています。津田様が行かれたのは、この時期のお店だったのでしょうね。
      「赤ひょうたん」で検索してここにたどり着かれる方がいまだにほぼ毎日のようにいらっしゃいます。本当に多くの方に愛されているお店なのだなあとつくづく思います。

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