【旧】foodish:”雑”食記

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忘れ去られること

Posted ish / 2004.11.03 Wednesday / 10:50

長岡市にいる後輩から、被災直後、自分の身の回りにどういう事が起こったか、どういう行動を取ったのかを記録したメールが届いた。マスコミ報道ではわからない、一個人の経験が手に取るようにわかる内容で凄かった。僕も彼も阪神淡路大震災の経験者だけに、文字だけでもその状況が想像できるから、余計にそう感じたのかもしれない。

前回も書きましたが、「経験ある者しかわからないのよね」などと妙に同属意識を持つつもりもないし、こんな経験はしないに越したことはないのは当然。ただ、実態はこうだということを伝えることも、何かの役に立つはず。

数年前から何かと参考にし、敬愛している'さとなお'さんも神戸在住時代に経験なさっており、HP内に震災関係のページがある。
そのwww.さとなお.comのトップページにある「さなメモ」の10/28分から以下引用。
台風の被災者たちは地震の被災者たちとの報道格差・救援格差に相当ストレスが溜まっているだろう。あっちの方が大変だから、と理屈では納得しても、自分の被害が広く理解されず忘れさられていくような孤立感はボディブローのように効いてくる。物資ではない精神的な救援の方が必要かもしれない。

「あっちの方が大変」と納得できるかどうかは別にして、「忘れ去られること」がつらいのは本当にそうである。今、世間の注目が集まっている新潟中越も、いずれマスコミの対象から外れるに連れ、関心が薄れてくる。直近の例では、あの日の何日か前まで注目されていた台風被害の報道も、今やどこかに霞んでしまった。

豊岡や出石(ここだけじゃないけど)の人だって今も大変なのだ。
いろんなところで起こっている戦いの日々は、それぞれに長く長く続くことを忘れないようにしたい。

Comments

nancix2004/11/03 11:14 AM

 阪神・淡路大震災の被災者がライフラインの復旧にほど遠く、まだまだ生きるための闘いを続けていたとき、地下鉄サリン事件が起こって一気にメディアの視点が関東に向けられたときの失望を思い出しますね。(今度は関東大震災になっちまえ)と心の奥底で呟いては、そんな恨みがましい自分を叱って打ち消したりして。

 一方で、大震災前まで、北海道南西沖地震の被害も他人事として「不運だったねえ…」と新聞をざっと見していただけの自分を深く反省したりもしました。

 ただ、新潟中越の壊れた家、土砂崩れの痕跡の映像を正視できない、見るのが辛すぎて目を背けてしまおうとする心の動きもあるんですよね…。

 ウディ・アレンの「マンハッタン」だったか何だったか「いまこのときも戦争や飢餓でどこかで誰かが苦しんで死んでいく。世界中の人が幸せにならなければ、僕は幸せになっちゃいけない気がする」と女に告げるインテリ男が出てきて、はあ?そんなことを言ってたら一生幸せになんかなれないやん!と呆れたりもして…。
 
 無関心と神経過敏の間で、折り合いをつけるにはどうすればいいんでしょうねえ…。

ish2004/11/03 06:21 PM

nancixさん>
北海道南西沖地震〜阪神・淡路大震災〜地下鉄サリン事件の間の心の動き、まさに僕もその通りでした。それぞれがみな、順繰りに同じ思いを味わっているのでしょうね。
いつも地球のどこかで災難が起こっている。誰でも多少なりとも不幸を抱えている。そこにばかり目を向けていてはやってられない。かといって、見捨てておくのも…
結局は、一人一人が少しでも前向きのオーラを発し続けていくしかないのではないでしょうか。

マンハッタンだかにそんなシーンがありましたっけ。
今度改めて観てみたいです。

mikyunn2004/11/03 07:30 PM

さとなおさんの日記、拝見しました。
今回の地震で現地入りした政治家のことを書かれていました。競争するためだけにいち早く現地入りしても、足手まといになるだけだと。仮設トイレを「わしにもこれを使えというのか」などと言った信じられない人もいることを。確かに中央で的確に支援してくれたら、その方がいいでしょう。でもわたしは基本的に「百聞は一見に如かず。」だと思っています。

わたしが阪神大震災の時、ガスも電気も水もない場所から避難した先で、あまりにふだん通りの毎日が営まれていて、大きなショックを受けました。テレビのチャンネルを変えてしまえば、なにも起きていない
かの時間が流れている。。
テレビの映像が伝えるだけの事実はあまりに小さくて
偏っていることを感じました。

サリン事件の頃には、もう阪神大震災でもないでしょうとマスコミには温度差がはっきりありました。例えば学校が避難所でなくなったのは、ずっとずっと先だったのに。

台風に遭った方々も地震に遭った方々も
それぞれの人がこれから長い闘いをつづけることを
忘れちゃいけないと思います。

ish2004/11/03 11:03 PM

mikyunnさん>
マスコミが伝えることは、ほんの一部分だけだということを、受け手側は常に意識していないといけませんね。報道の対象が移り気なのは、送り手にも受け手にも原因はあるだろうし、ある意味ではマスコミは、僕ら自身を象徴しているのだと思います。

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