ミッチャンの想い出(神戸・三宮センター街)
Posted ish / 2005.03.13 Sunday / 16:49
神戸一の繁華街・三宮センター街に、かつて「ミッチャン」というお店がありました。残念ながら数年前になくなってしまいましたが、ある年齢以上の神戸っ子なら知らない人はいない、と言っていいくらい有名な輸入雑貨のお店です。ちょっとしたバッグや文房具、アクセサリー、化粧品、喫煙具、食料品など、今ほどこれらの海外製品が日常的ではない時代に、ミッチャンはその品揃えの豊富さとセンスの良さが魅力的で、同時に、まだ見ぬ外国への憧れを搔き立ててくれる、それはそれは夢のあるお店でした。すぐそばにある「む蔵」でとんかつ食べてミッチャンで買い物をするというのは、一昔前の神戸っ子の王道の一つだったと言えるでしょう。
ところがこのミッチャンにはもう一つ有名な点があって、実はものすごーく愛想が悪い(^^;) ここはそういう店なんやと初めからわかっていてもちょっとビビるくらいで、およそウィンドショッピングなどできる雰囲気ではなく、「買うモンこぉたらはよ出ていって」みたいな空気が充満していました。子供の頃、親の買い物ついでに店内に入り、お店のおっちゃんの目を気にしながら、見たことも食べたこともない外国のお菓子やらおもちゃやらを興味津々盗み見したのも、今となっては懐かしい想い出です。
そんな商売のやり方でも長年続いていたということは、それだけお店の商品に魅力があった証でもある訳ですが、時代は必ず移っていきます。海外旅行も珍しくはなくなり、ソニープラザに代表される同種の店が増え、ミッチャンはその使命を果たしたかのように、数年前に店を閉じてしまったのです。
意識することなく、特別苦労することもなく、外国の文化に日常的に触れることができるのは素晴らしいことです。今やインターネットを使えば、海外の商品を検索し直接購入することなんてカンタン。おじさんの目を盗みながらのミッチャン時代とは大きな隔たりがあります。
でもその一方、今ほど外国が身近でなかった分だけ、憧れも、手にした時の喜びも、あの頃の方が大きかったことは間違いありません。そういう夢を与えてくれたミッチャンは、あのころ確かに神戸らしいお店"だった"し、仮に今あったとしたら、残念ながら神戸らしいお店と言えるのかどうか難しいでしょう。
かつてミッチャンが与えてくれていた夢は、今や神戸らしいものではなくなり、なおかつ、それはもはや夢ではなくなってしまったのだなと、先日あるお店に行った時、そんな風に思ったのでした。
(関連エントリがこのあと続きます)
ところがこのミッチャンにはもう一つ有名な点があって、実はものすごーく愛想が悪い(^^;) ここはそういう店なんやと初めからわかっていてもちょっとビビるくらいで、およそウィンドショッピングなどできる雰囲気ではなく、「買うモンこぉたらはよ出ていって」みたいな空気が充満していました。子供の頃、親の買い物ついでに店内に入り、お店のおっちゃんの目を気にしながら、見たことも食べたこともない外国のお菓子やらおもちゃやらを興味津々盗み見したのも、今となっては懐かしい想い出です。
そんな商売のやり方でも長年続いていたということは、それだけお店の商品に魅力があった証でもある訳ですが、時代は必ず移っていきます。海外旅行も珍しくはなくなり、ソニープラザに代表される同種の店が増え、ミッチャンはその使命を果たしたかのように、数年前に店を閉じてしまったのです。
意識することなく、特別苦労することもなく、外国の文化に日常的に触れることができるのは素晴らしいことです。今やインターネットを使えば、海外の商品を検索し直接購入することなんてカンタン。おじさんの目を盗みながらのミッチャン時代とは大きな隔たりがあります。
でもその一方、今ほど外国が身近でなかった分だけ、憧れも、手にした時の喜びも、あの頃の方が大きかったことは間違いありません。そういう夢を与えてくれたミッチャンは、あのころ確かに神戸らしいお店"だった"し、仮に今あったとしたら、残念ながら神戸らしいお店と言えるのかどうか難しいでしょう。
かつてミッチャンが与えてくれていた夢は、今や神戸らしいものではなくなり、なおかつ、それはもはや夢ではなくなってしまったのだなと、先日あるお店に行った時、そんな風に思ったのでした。
(関連エントリがこのあと続きます)
Comments
mikyunn2005/03/16 01:00 AM
ミッチャン。
センター街の象徴でした。
わたしが子どもの頃、おばあちゃんの世代の人は
おしゃれな小物を見ると、
「ハイカラやな。舶来か?」
と聞いたものでした。
舶来品が憧れと高級品であった時代。
ミッチャンの奥にある、ブリジッド・バルドーを思わせるようなランジェリーを見たいのだけど、チョコレートやら万年筆やらを見るのがせいぜいで、しかも子どもは早々追い出されるのでした。
ヴィトンやエルメスの直営店があちこちにできるような
現在、いまでも外国人が多く住む神戸ではあるけれど、
「外国に近い街」という特別な感じは薄らいできたように思います。
神戸の魅力の話になっちゃいそうですね。
ish2005/03/16 01:50 AM
mikyunnさん>
地味なエントリにコメントありがとうございます(笑)
実はエントリ前にミッチャンのことを色々検索してみたのですが、あんまりヒットしませんでした。
なので、どこかで書き留めておきたいという思いもあって、長々書いてみました。
>「外国に近い街」という特別な感じは薄らいできたように思います。
そうですね。かつては港が海外との接点だったのが空港になり、海外との行き来も当たり前の時代になったからでしょう。
今は、新しい「神戸らしさ」が必要とされているのかも知れません。
ミッチ2006/01/27 09:36 PM
ミッチャンが閉店したってホントですか?
あの震災のあと数年して神戸にいったときは
お店あったのに・・・
む蔵も別の場所に移って久しぶりにとんかつを食べ、
ミッチャンに寄ったんですよ。
>「む蔵」でとんかつ食べてミッチャンで買い物をするというのは、一昔前の神戸っ子の王道の一つだったと言えるでしょう。
私は大阪っ子ですが小さい頃から神戸に行ったら必ず
む蔵とミッチャンに行ってました。
む蔵で美味しいとんかつを食べ、それでも足らず
持ち帰りのとんかつも詰めてもらい、
そのあと、ミッチャンによってママが化粧品などを買い
私は外国のガムやチョコレートを買ってもらうのを
楽しみにして神戸に行ったものです。
そんな懐かしいお店がなくなってしまうなんて
ホントに悲しいです。(O.;)
思えばあれから半世紀近く経つのですもの
色々と変わっていくのは仕方ないことなんでしょうね。
それにしても本当に残念です。
ish2006/01/27 11:26 PM
ミッチさん>
こういうエントリにコメントいただくのは、普通以上に嬉しいんですよ。どうもありがとうございます。
神戸っ子だけでなく近隣の人達にとっても当時を代表する名物店だったミッチャンは、残念ながら無くなってしまいました。できるものなら今も元気で在り続けて欲しいところですが、正直なところあの個性は今の時代には受け入れられないかもしれないし、ある意味では使命を果たしたのかもしれませんね。
移転したむ蔵さんはいかがでしたか?店内の雰囲気は以前とあまり変わっていないように僕は思いましたが。
変わらない良さを伝え続けるのも、新しい良さを作っていくのも、お店とお客の双方があってこそ成り立つものだと、近頃つくづく思います。
どうぞこれからも神戸にお越し下さいね。
mimi2006/04/01 10:36 AM
小学校から高校までの10数年を阪神間で過ごしました。
この度、10数年ぶりに神戸に行くとあって、懐かしい場所をネットで検索中にこちらのブログに辿りつきました。
あの「ミッチャン」が閉店していたなんて!
「ミッチャン」は私にとって、三宮を象徴する店でした。
確かに店員の無愛想ぶりは圧巻で、日本広しと言えど、いまだ見たことがありません、あのような店は(笑)。
今思えば、あの独特な威圧感が、さらに舶来品の商品価値を高めていたような気さえします。
化粧品を買う母に連れられていった小学生の頃は、入り口近くにずらっとぶら下げられたヘアピン群から、お気に入りを探すのがお決まりでした。
高校生のときに、初めて買ってもらったパール入りレブロンのマニキュアもミッチャンで。
ショーケース前に居並ぶ客のわずかな隙間から覗く独特の雰囲気も今では思い出の中だけのものなんですね。
しばし、ノスタルジィに浸れました。ありがとうございました。
ish2006/04/01 12:11 PM
mimiさん>
このたびはコメントありがとうございました!
「独特な威圧感が、さらに舶来品の商品価値を高めていた」といわてみれば、確かにそうだったのかもしれませんね。簡単に手が届くものでないだけに、よりいっそう憧れる、という効果を生んでいたのかもしれません。
ま、あのおっちゃん方は、そこまでの考えはなかっただろうと推察しますが(笑)
女性の場合は、化粧品やアクセサリー類がある分、男性より余計に、当時のあの店での舶来品への憧れ感がビビッドに残っているのでしょうね。恐らく今でも子供の頃に見た光景がキラキラ輝いているんだと思います^^
久しぶりの神戸、どうぞ充分お楽しみください。
kuro2006/04/01 08:06 PM
サイドバーの『ミッチチャン』という言葉に
思わず、食らいついてしまいました。懐かしい・・・。
目を閉じれば思い出す、あのお店。
無駄のないスペースのディスプレイ、今となっては
ほんとに面白いお店だったと・・
『触らんといて!』と言われても、
どんなに客を客とは思わない対応をされても、
許される魅力がそこにはあったんですよね。
『決めてから言ってよ・・』なんてケースとケースの間の
スペースから対応する店員さん・・
mimiさんとおなじヘアピンなどをどきどきしながら
選んだ記憶がよみがえります。
大学時代には友人は口紅は『ミッチャン』で買っていて
その横で私はお菓子を買ってました(笑)
お花がたくさんついたスイミング用のキャップ。
どんな人が買うんだろう・・・なんて思ったなぁ〜。
今!思い出しました。
あぁ・・神戸のよき思い出の一つですね。
なんだか久しぶりに懐かしくて・・。
kuro2006/04/01 08:08 PM
あ・・『ミッチャン』が『ミッチチャン』になってる〜。
大事なトコなのに〜(笑)すみません。
ish2006/04/01 09:57 PM
kuroさん>
ほんとに個性的で、今思い返しても不思議なお店ですよね。
あの客あしらいが、外国への憧れを増すためのスパイスになっていたのかも、などという考えはこれまでまったく思いつきませんでしたが、やはりあの品揃えがミッチャンの魅力の真髄なのでしょう。
それぞれが、かつてあの店で興味を持ったモノは、今の自分たちの中にきっちり残っていることでしょうね。
kuroさんは食べ物ですか。僕もです。(笑)
poonya2006/10/14 11:35 PM
ミッチャンがなくなったのを知ったとき、元町のイクシマヤがなくなったと聞いたとき、神戸が消えていく気がしました。
他にもいっぱい『神戸の香り』を持ったお店がなくなっていきますね…
先日、蛸の壺でご主人と常連さんがもう元町、三宮はあかんね、どこの町にもある店に取って代わられてしもて…と話してるのを聞いて、…。。。となってしまいました。
ミッチャンは今で言うとこらろのセレクトショップの走りみたいなところがあって、女の子が手を伸ばしたくなるようなものがいっぱいありました。(お手軽な料金でね。)
だから怒られるかなって思っても足しげく行っては可愛い輸入小物を物色したものです。
まあ、おじさんもおばさんも随分お歳だったし、怒るのも結構疲れるのでお店を閉じられたんでしょうが…
神戸を離れてしまった今はたまに帰ったときにエビアンで一息つくのが楽しみです。
さんちかの八百丑(レストラン)もなくなっちゃったんですよね?
ish2006/10/15 01:44 AM
poonyaさん>
全国的あるいは世界的な展開をしているお店の進出と共に、地元ならではのお店が衰退しているのは、どこにでもある話かとは思います。それがどんどん進めば、どこに行っても同じ街…考えただけでもぞっとしますよね。
昨今のセンター街や元町商店街で、その傾向が急激に増しているのは確かだと思います。その一方、神戸に縁もゆかりもない「神戸ブランド」が幅をきかせているという、変な現象もあります。外では通じるけれど中では評価が落ちてきているということなんでしょうか。
神戸っ子一人一人が、もっと自分たちの街に誇りと愛着をもってもらいたいものですね。そのためには、そういう街作りが必要なんだけど…。
moro2008/01/20 04:07 AM
神戸の震災のテレビを見ながらミッチャンのことが気になり、検索しましたらこちらを見つけました!コメントを読み同じ思いのかたがいるのがうれしくて、でも もうなくなってたのですね。大阪在住の私ですが甲子園のおばあちゃんの家に行く前などに母とみっちゃんにいくのが楽しみでした。自分のおしゃれ感の一部分はあの店で影響を受けているなーと思うのです。インポートなど言わなかったですよね、まさしく舶来品がありました。店の陳列や商品を鮮明に覚えているんです、かわいいヘアピンを探すのが大好きでした。インディアンのビーズベルト、かわいい絵がペイントされているバスケットほしかったなぁ。あの頃はあこがれのプライスで毎回眺めてはどきどきしていました。時代が変わりお店の使命をはたした?のではというのは同感です。ほんとあの頃のお買い物は楽しかった!
ish2008/01/20 09:13 AM
moroさん>
ヘアピンのことを書かれる女性が多いですね〜 僕なんぞはそっち系はうっすら憶えてる程度で、食べ物やら筆記用具やらライターやらの印象が強いです。
>自分のおしゃれ感の一部分はあの店で影響を受けている
これ、よくわかります。例えヘアピンに興味はなくとも(笑)、その手の「舶来品」で自分のセンスが養われたってところがありますもんね。
ももない2008/03/04 11:35 PM
私もふとミッチャンのことを思い出し、検索してこのブログを見つけました。
私はミッチャンの店舗自体は入った事がないのですが、ちょっと特別な思い出があります。
もう20年ほど前に奈良公園をぶらぶら一人で散歩している際、とある男性に道を聞かれ、そのまま案内することになったのですが、何故か私を気に入られたようで、徐々に口説きが入ってきたので気味悪くなりそのままさよならしたのですが、その男性、どうやらミッチャンのオーナーだかその息子さんだったようです。
私は「み」のつく名前なのですが、それを聞いて「うちの店と同じ名前だ!」と喜んでいました。私はそんな店知らなかったので、神戸の夜景を見下ろす自宅の話ともども信用していなかったのですが、後になって思い出し、調べてみると本当に店があったので驚いた覚えがあります。
その後、三宮に行った際、実際の店舗を見つけたのですが、もしその男性に見つかってまた口説かれたら嫌だったので(笑)、そのまま入らずに立ち去りました。
とまあ皆さんのように子供の頃の楽しい思い出ではなく、若かりし頃の無防備な自分へのほろ苦い思い出になるのですが、店がなくなったとのお話、その男性は今どうしていらっしゃるのでしょうね。
ish2008/03/05 09:58 PM
ももないさん>
ちょっと変わったコメント、ありがとうございました。
当時の神戸っ子なら大概ミッチャンを知っていたでしょうから、果たしてその男性がほんとにオーナーとか息子さんだったかどうか、疑わしいかもしれませんね。まあ今となっては真相を知る由もありませんが。
もし実際にお店に入ってたら…ももないさんの人生も変わってたかも知れません(笑)
それほど素敵なお店だったんですけどね。
ロン2008/05/15 08:31 PM
はじめまして。
僕は商売をしてまして、あるお客様が ミッチャン の話をされてました。ミッチャン には僕も買いに行った事があり、懐かしさのあまり、お互い大爆笑しました。僕が中学校、高校の頃は ミッチャン は本当に有名でしたね。
神戸に住んでいて、ある一定以上の年齢の方は、ミッチャンを知っていますね。
ひょっとしてと思って、ミッチャン を検索したところ、このブログにあたりました。今度、ミッチャンに関しての話を、ブログに書こうと思います。思い出させてくれてありがとうございます。
ish2008/05/15 09:18 PM
ロンさん>
ようこそお越し下さいました!
ご商売をなさっているとのこと、ミッチャンのスタイルはどう捉えられているんでしょうか(笑) あのままでは、恐らく今は受け入れられないでしょうね。でも当時はお店もお客もあれで良かったわけで、それはそれで幸せな時代だったんだと思います。
どこにでもあるのではなく、そこにしかない存在でありたいものですね。
ロン2008/05/16 09:38 PM
先日のコメントに、お返事くださり、ありがとうございました。
ミッチャンのことをブログに書きました。
もしよろしければ、覗いてください。
また、遊びに来させていただきます。
(僕は、神戸に住んでいます)
ish2008/05/17 12:07 AM
ロンさん>
拝見しました。鍵屋さんだったんですねえ〜
さぞかし色んなお客さんがいらっしゃるんでしょう。
ぼつぼつ読ませていただきますね!
Mitchanlove2010/12/03 11:38 PM
ミッチャンは神戸の誇りや、SONYPLAZAは真似してるんや、と信じて疑いません(^ ^)
ish2010/12/04 12:31 PM
Mitchanloveさん>
当時のミッチャンは、ほんとに時代の先端を言ってましたねえ。
ところで、ソニープラザがただのプラザって名前に変わってることを、僕もつい最近まで知りませんでした。
ミーコ2011/02/04 01:44 PM
今日、会社の後輩に、ネスカフェのアグロマート製法の商品について会話していたところ、三宮のミッチャンで取り扱っていたのを思い出し、ミッチャンというお店の内容を説明していました。
私は昭和26年生まれの神戸生まれで、ミッチャン無しでは語る事ができません。幼いころから、高校生のころまで、どれだけお世話になった事でしょう。むさしの移転は知っておりましたが、ミッチャンの事は知りませんでした。ショックです。
ish2011/02/04 08:14 PM
ミーコさん>
世代的にはど真ん中でしょうから、ものすごくたくさん想い出もおありのことだと思います。他の都市同様、どこにでもあるような店が増え、神戸らしい店が減っていくのは寂しいことですし、なによりも面白くなくって残念です。
トータン2011/05/23 12:20 AM
映画「阪急電車」を見て、懐かしい1970年代、転勤で過ごした8年間を思い出します。小学校の高学年から、高校卒業まで西宮に暮らしていました。神戸に出掛けるたのしみは、みっちゃんと珈琲にしむらでのお茶の時間といって過言ではありません。にしむらは今でも時々東京から出掛けていきます。
なくなってしまったお店ではアメリカンファーマシー、コロンバンのクリームたっぷりなデニッシュパン。バレンタインモロゾフさんのお店コスモポリタン。奥様が綺麗に髪を調えてお店に立っていらしたのが、今でも印象に残っています。
みっちゃん。。。いつも「触らんといて〜!」って言われてもめげずにあのたくさんピン止めのぶら下がったスタンドを回したものでした。アメ横でも有名でしたよ。
ish2011/05/23 09:03 AM
トータンさん>
昔ながらの神戸らしいお店が減っていくのは寂しいですね。コスモポリタンのボルシチのことも久しぶりに思い出してしまいました。おいしかったなあ。
ロバート汁蕎麦2011/07/08 10:06 PM
50年ぐらい前に缶入りのブラックペッパーとソルト(は袋入りやったかな)を割烹着を着て買いに行ってた。
南京外の入り口、端のほうで、八百屋の前の小さな豚マン屋があって、当時2皿50円。新聞紙に包まれた豚マンを思い出した。
懐かしい。
ish2011/07/09 01:14 PM
ロバート汁蕎麦さん>
書かれている内容からすると、その豚まんは市場の中にあった移転前の老祥記でしょうかね。僕も何度か行ったことがあります。
いい人2012/04/28 06:57 PM
昔八百丑のレストランありましたよね。
今は、もう無くなり、大丸、平野本店も閉店みたいです。あのレストランの味をもう一度食べたいものです。初代料理長は、お亡くなりになり、
あの味を受け継ぐ継承者は、今、業界には、いません、それでも復活してほしいですね。
私は、元従業員ですので、お会いしているかもしれません。
ish2012/04/30 08:43 PM
いい人さん>
八百丑というブランド名ははっきり憶えているのですが、残念ながらお店のことはあまり憶えてないんですよ。そういえば、平野の交差点の少し南側に、場所柄からするとけっこうな値段のビフカツを出してる店があったような気がするんですが…
まこちん2012/12/05 10:05 AM
八百丑を検索していてたどり着きました
親が六甲出身で買い物は梅田より三宮、お誕生日やご馳走食べにいこかとなると決まって八百丑でした。慣れない手つきでフォークとナイフを持ってテーブルマナーを覚えたのも八百丑です。
みっちゃんでジェリービーンズとパステルカラーの薄いラムネみたいなお菓子と楕円形の小さな完にはいったラズベリーの丸いアメちゃんがすきでよく買ってもらいました。
母親もみっちゃんに行くとテンションが上がるようでいろいろねだってもあまり怒られなかった気がします笑
とっても懐かしい気持ちになりました
ありがとうございます
ish2012/12/05 11:57 PM
まこちんさん>
その時代のジェリービーンズって、外国への憧れをかきたてるアイテムの一つだったんでしょうね。ミッチャンにはその手のアイテムが一杯ありましたねえ。
かおりん♪2013/03/18 06:02 PM
私も八百丑を検索してて、このブログがヒットしました。八百丑以上に懐かしい『ミッチャン』
ピン留めとあめちゃんをよく父に買ってもらったのを覚えています。まさに舶来品の宝庫で、子供にも楽しすぎる夢の国のようなお店でしたよね。あれでお店の人の愛想が良ければ天国みたいなお店なんですけど(笑)
ファミリアさんで洋服を買ってもらって、ミッチャンで小物、そして武蔵でとんかつを食べる。三宮お買い物の王道です〜
ish2013/03/18 10:15 PM
かおりん♪さん>
男の子のは男の子の、女の子には女の子の夢をかき立ててくれるお店でしたね。女の子のほうがより上かな?そんな夢のある店なのにあんなに無愛想でアンバランスなのが、あの店の個性なんだなあと思います。
ミッチャンはなくなりましたが、神戸っ子としてはファミリアも武蔵も大事にしたいですね。
eritan2013/03/21 01:29 AM
はじめまして。英国製の美白クリームを通販で
買ってつけていましたら、匂いが70年代に
ミッチャンで買っていたクリームの匂いに
そっくりで、クリームの名前を思い出すのに
四苦八苦しましたがやっと「スティ−ルマン」
と思い出しました。神戸を離れて38年、来月
神戸に行ったらミッチャンに行く予定でしたが
閉店したのですねぇ・・しんみり。バイトしてはミッチャンで口紅とか買うのが楽しみでした
ね。
ish2013/03/22 12:16 AM
eritanさん>
コメントどうもありがとうございます。
そうなんです、残念ながらもう数年前になくなってしまったんですよ。どこの街に行っても同じ店が並んでる昨今、あんな風に個性的な店はもう出てこないでしょうね。
toa2013/07/13 08:50 PM
“三宮 ミッチャン”で検索してこちらに辿り着きましたけれど、すごいですね、2005年の記事に今もなおコメントが続いているなんて!8年間も!
私も神戸っこですがそれほど神戸っこは神戸が好きなんですね。
そして、あの当時の外国の香りが漂う良き時代の神戸が懐かしくて“舶来品のお店”というのが似合うミッチャンがみんなの記憶にあるんだなあ、ってうれしく感じながら読みました。
私は幼稚園〜小学校の頃、母にお菓子を買ってもらい、中・高時代は髪飾りを買うようになり、大学生になってお化粧品や香水を買うようになりました。
お店の外側の壁一面にずらりと掛けられた鞄の一番上段に並んでいたアメリカ製の家並みの絵が描かれた籐のバッグ、可愛かったなあ、なんて懐かしく思い出しました。
素敵な記事をありがとうございました!!
ish2013/07/15 12:05 AM
toaさん>
おかげさまでこのエントリは、写真もなく文章だけなのにいまだにちょくちょくコメントをいただきます。いかにミッチャンが皆さんの記憶に残る店だったかの証しですよね。あんなに愛想が悪かったのに(笑)、こんなに愛されてるなんて、不思議ですね。
のぶりん2013/11/14 11:11 AM
ミッチャン 今から40年ほど前、祖父が仕事でよく神戸にきてました。舶来品という言葉がキラキラしていた時代、お土産として当時めずらしかったサワードロップを買ってきてくれました。たまに同行すると、むさしのとんかつかトーアグリルで洋食をご馳走になり居留地を散歩していました。北長狭の明石屋さん、おすしの玉ひろさんもなくなり、今はむさしさんしか残ってないですね。縁あって神戸の大学に進学しましたが、貧乏学生には敷居がたかく再訪できなかったのが残念です。懐かしくて思わずコメントしてしまいました。ミッチャンは祖父との大切な思い出です。
ish2013/11/14 06:12 PM
のぶりんさん>
コメントどうもありがとうございました。
昔の神戸っ子にとって、やっぱりミッチャンとむさしの想い出はセットですかね。僕はトーアグリルや玉ひろさんは知りませんが、みなさんそれぞれ馴染みの洋食屋・寿司屋・中華料理など、食についての記憶を今も大事にされていることがよくわかります。
あや2014/07/15 05:35 PM
はじめまして。昔神戸っ子の今おばさんです。 神戸の本山の小学校へ4年生から卒業までいました。その後宝塚へ引越し。今は枚方市です。 前にミッチャンを検索してこのブログに会いました。 母と三ノ宮センター街へ行った時はいつもミッチャンでピン留めを買ってもらい自慢気に学校へ付けて行きました。薄いピンクやブルー。アメリカの女の子になったような気分でした。やっぱりむさしにもよく連れて行ってもらいました。懐かしいなぁー。
ish2014/07/16 01:00 AM
あやさん>
コメントありがとうございました。
みっちゃんは、おしゃれのスタート地点のような存在だったようですね。遠い国アメリカは、当時憧れの国でしたもんね。
他の街同様、三宮もどんどん変わっています。むさしは元町に移転しましたが、がんばっていらっしゃるようです。是非またお越し下さいね。
kakomama2014/08/31 09:42 PM
ミッチャンを検索したらこちらのサイトに来ました。ミッチャン懐かしいですね、昭和40年代、私が小学生のとき、高校生の姉に連れられて、いつも行った三ノ宮のセンター街、ミッちゃんに入ると、外国に行ったような、そんな素敵な品物がいっぱい売ってました。お店のおじさんは怖かったけど、素敵なビニールのバックや、母のお化粧品、ランチバックなどなど、買った記憶があります。古きよきサンター街、今はずいぶん様変わりして、淋しいです。
ish2014/09/01 05:53 PM
kakomamaさん>
コメントありがとうございます。
皆さんからコメントいただく度に思うのですが、ミッチャンに対するイメージのブレが少ないなあと。これだけ年数が経ってもみんなが想い出を共有できる店って、やっぱりすごいなあと感じます。
センター街も大きく変わってしまいましたが、せめて神戸ならではのお店を応援したいものですね。
リンコおばちゃま2016/01/12 03:57 PM
ふと 昔の三ノ宮がなつかしくなり みっちゃん ボビース wayout サロックとか検索していたら ここにたどり着きました
昭和40年生まれ 西宮出身
三ノ宮は青春時代と切っても切れません みっちゃんの髪留めは 今も大事にしていて 現在中1の娘が幼い頃につけていたんですが 落とされたら もう買えないなと思い 温存してました^^;
iPhoneから送信
2016/01/12 10:08、dh131182@softbank.ne.jp のメッセージ:
青いカードの件
洋服ダンスの中を、探ってみて下さい。
孫の為にずっと置いておこう^^;
これから先もう二度とあのピン留めに出会えると思えない
ish2016/01/12 11:37 PM
リンコおばちゃまさん>
ミッチャンで髪留めを買われた女性って多いんですねえ。僕ら男性にはよくわかりませんでしたが、それだけ他にはないようなものを扱ってたってことなんでしょうか。想い出の品、どうぞ大切になさって下さい。
Masny2016/02/23 03:52 PM
みなさんのコメントを拝読して、懐かしさのあまりコメントさせていただきます。
昭和37年生まれの私は、母に連れられて三宮に行くたびミッチャンに行くのが楽しみでした。昭和10年、御影で生まれ育った母は「ここは戦後すぐできた神戸のヤミ市の頃から続いているねんよ…」とよく話していました。
母が英国製のおしろい紙などを買っている間、ビーズでできたインディアンの工芸品のベルトや、ポーチなどを見ていて、中学生になった時、ついにお金を貯めてベルトを買った日のことが思い出されます。
ビーズの柄違いが三種類あり、お店の人にせかされながらも かなり悩んで決めたことを覚えています。
今も実家のどこかにあるかも知れません。
フナキヤさん、マカラズヤさん、フタバさん…など神戸らしいいい店がありましたよねぇ。
母の馴染みの店も次々と姿を消し、今や「手作りの店 ボングー」くらいでしょうか?
今は名古屋在住ですが、実家に帰った時は、80を迎えた母とサンプラ、元ブラを楽しんでいます。
時代の流れはしかたありませんが、それでもあの元町通りのゆったりした雰囲気、海と山がすぐ近くに臨めるトアロードなどの異国情緒は、他のどこにも真似できない神戸の財産だと思います。
ish2016/02/23 10:21 PM
Manyさん>
フナキヤさん、マカラズヤさん、フタバさん、ありましたねえ〜
コメントいただいて思い出しました。
このエントリの随所に書いてあるように、今や全国どこの街も平均化されつつあります。この街にしかない店があちこちにあるあの時代は幸せでした。次の次代に引き継ぐため、あの頃の様子を伝える皆さんのコメットや、可能ならば写真などを紹介していければいいなと思っています。
ビーズのベルト、是非探し出して下さいね!
Pepito2016/03/21 07:48 PM
ミッチャン、懐かしい!私はよく母親に手を引かれ、ファミリアと元町不二家の2Fのレストランに行くのが定番でした。そこで途中ミッチャンでコーラキャンディやチャームのキャンディを買ってもらっていた記憶があります。本当、当時は1ドル360円の時代でしたので神戸には外国人の方々も多く、レストランに行けば必ず外国人がいました。
そのような中、ミッチャンは舶来雑貨店で、神戸を代表するお店だと思い込んでいました。その後、中学・高校生になると大阪方面でSONYPLAZAやRichardとやらミッチャンとリンクするお店を知りました。でも人生で最初に出会った舶来雑貨店はミッチャンで、今はなき八百丑のレストランとともに僕の大好きな神戸のお店の一つでした。
ish2016/03/23 12:05 AM
Pepitoさん>
不二家の2階のレストラン、僕も憶えています。確かあそこではマカロニグラタンをよく食べたような。それともお子様ランチでしたかねえ。
そういえば心斎橋のRichardってありましたねえ。大阪の女性はあそこの紙袋をかなりの確率で持ったましたよね。
http://ameblo.jp/chacha922/entry-11300719362.html
Richardももうなくなったようで、やはり時代の流れを感じます。
るちあ2016/04/09 08:07 PM
こんばんは。
”コロンバン”というパン屋さんを検索していたら、何故かここにたどり着きました。震災前頃まで元町にあったパン屋さんで、コルネやチョコデニッシュが美味しかったな〜。今考えてみても、結構なレベルだったと思うのですが、何故かあっさりと閉店されてしまって。
そういえば”くるみや”さんも無くなりましたね。
ミッチャンも懐かしいです。私も髪留めを買いました。
ish2016/04/11 03:47 PM
るちあさん>
そういやコロンバンっていつの間にか神戸からはなくなってしまってたんですね。東京が本店でしたかね?
http://www.colombin.co.jp
くるみやさんはよく知らないのですが、これのことですかね?
https://www.kobelco2103.jp/apolan/backnumber/kobe_story/20070328/
るちあ2016/04/11 06:39 PM
ありがとうございます!
いえ、そっちのコロンバンではなく、コロンバンというベーカリーがあったんです。元町駅から大丸へ向かう道筋に、ちょうど今はイスズベーカリーの元町店がある辺りだったと思います。
美味しくて結構流行ってたのに、本当に潔く!って感じに閉店されてしまいました。
”くるみや”さんは貼っていただいたのであってます(^_^)v
日東館の隣だったでしょうか。今でも、明石にはありますね。
ish2016/04/12 10:43 AM
るちあさん>
コロンバンは別のお店でしたか、失礼しました。
そのあたりは何度も通ってるのに、残念ながら僕の記憶にはないですねえ。何かとごっちゃになってるのかなあ…
toa2016/06/03 11:56 PM
3年前にも投稿しましたtoaです。お気に入りの記事なので、再びのぞいてみましたら、現在もまだ続いていて嬉しい驚きです! 10年以上のロングラン!
コロンバンのパン屋さん、覚えていますよ。
私の記憶では昭和40年代頃、お店も広くケーキも売られていて、ショーウィンドウにはウェディングケーキが飾られていたように思います。その後すぐそばに移転してからはお店が小さくなりパンだけになったような。
レモンケーキやカップケーキを買ってよく食べていました、懐かしいですね。
ミッチャンの記事から、古き良き神戸の思いでにふれられて、心がほっとなごむひと時になりました。
今我が家のソファーの上には、ミッチャンの閉店の時に買ったクマのぬいぐるみが座っています。
ish2016/06/05 08:32 PM
toaさんはコロンバンを憶えてらっしゃいましたか。
自分でもこんなに息の長いエントリになるとは思いませんでした。ミッチャンという店がみんなに親しまれていた証ですね。
ミッチャン閉店時のクマのぬいぐるみをお持ちとのこと、閉店はいつ頃でしたかねえ?
まさえ2016/08/09 07:59 PM
1941年生まれです 結婚前亡夫と新幹線に飛び乗りミッチャンにしかないオイルライターを買いに行きました そのことを突然想いだしてこのサイトをみつけ大感激 貧しかったころ でもしあわせでした まさかもうないとおもっていたのでうれしかったです 閉店は残念ですが 存在していたことに驚愕 だってもう50年前のことですよ
ish2016/08/10 09:50 AM
まさえさん>
恐らく東海道新幹線が開通して間もない頃だったのでしょう、ご夫婦で新幹線に乗ってミッチャンへとは、すごい想い出ですね!
嬉しいコメントをいただき、ありがとうございました。
sac2017/01/28 08:42 AM
コロンバンの思い出が忘れられないです
どんな方がお店をされていたのでしょうか?どなたかご存知ないでしょうか?
ねこ2017/02/10 09:35 PM
昔よく行ってた神戸のお店を検索していてたどりつきました。大学の友達と授業が終わって三ノ宮に遊びに行くと必ずミッチャンをのぞいて、オレンジハウスみて、元町方面まで足をのばしたらファミリアとパルパローレをのぞいてサトービニールで教科書入れる袋を買ってました。元町のあなご寿司の青辰もとっくのとうになくなってたんですね。卒業の前に仲のいいグループと花隈にあった雅徐園(漢字違うかも)ホテルに泊まったこともありました。ミッチャンとよく似た名前のプチモンドヨッチャンという京都本社のお店も今はないみていですね。こちらの記事とみなさんのコメント読んでついなつかしくなり書き込みました。ちなみに私がミッチャンで必ず買ってたのはパピアプードルというおしろいのついた油取り紙でした。
ish2017/02/11 11:22 AM
sacさん>
残念ながら僕にはその記憶がありません。どなたかからの書き込みがあればいいですね。
ish2017/02/11 11:23 AM
ねこさん>
色々とお店の名前を挙げていただき、ありがとうございました。
雅徐園ホテルの件、調べてみたら震災で被害を受けて廃業され、現在跡地にはマンションが建てられているそうです。
http://ameblo.jp/spring8083/entry-11854248283.html
ねこ2017/02/11 11:52 AM
早速調べていただきありがとうございました。朝食のおかゆも美味しかったこと思い出しました。又新しいブログにもおじゃまさせてください。
リュウアーチャー2017/08/13 07:38 PM
三宮の甘味処香月は無く成ってますね?
ish2017/08/14 12:54 AM
リュウアーチャーさん>
残念ながらそのお店は存じ上げません。
taaya2017/09/03 08:52 PM
ミッチャン。
私は4.5歳の頃にファミリアの白のかごバックを持ち、宝塚から連れていかれたのを思い出します。
当時は毎回、バブリシャスガムを買ってもらってました。
もちろん、ヘアピンがたくさん連なってあり…なんともあたたかくなる、ガムの匂いやかごの匂い、お店の匂い、景色がなぜかほのかに思い出すとき、いつも幸せな豊かな気持ちになります。
小学生になり、豊中に引っ越し、高校で神戸のお友達ができましたが、ミッチャンを知る人はいませんでした。それまでにも何回か行って流のでしょうが思いだすのは4.5歳の記憶です。
今は娘もいて…なきミッチャンですが連れて行きたくなりネット検索したらこのページが!
欲を言えば風景なり写真が見たいものです。
ish2017/09/03 11:18 PM
taayaさん>
コメントありがとうございます。
このエントリはご覧の通りたくさんの方々から息長くコメントをいただいており、ミッチャンがどれほど親しまれ愛されていたかの証だと思っています。
一枚の絵も写真もないエントリなので、なんとか当時のことがわかる資料がないかと思い続けているのですが、ネットで調べてもほとんどヒットしません。写真がなくても、どなたかミッチャンの包装紙とか袋をお持ちであれば、せめてその画像を加えられたらいいのですがねえ。
ばあば2017/09/19 09:34 PM
みっちゃんの名誉のためにひとこと!!
愛想の悪いと何度か出てきましたが、私は若いママのころ、三ノ宮でお買い物の時にはいつもみっちゃんのおじさんに子供を見ていてもらっていました。幼稚園にはいるまえでしたから2、3歳の男の子です。いつも「他の買いもん行く間、その子見といたるよ」って言ってくださってお願いしていました。みなさんとっても優しいスタッフでした。
ish2017/09/22 01:41 AM
ばあばさん>
いいエピソードですね。子供を預かってくれる・預けられる関係ってなかなか築けないと思うので、相当仲が良かったんですかねえ。
でも申し訳ありませんが、やはり僕には愛想悪かった記憶しかありません。もちろんそれもまた今となってはいい思い出です。
きりん2018/07/20 08:56 AM
こんにちは!お久しぶりです。
10年前ほど、長崎カステラ総本舗の音楽のコメントをしたきりんです。大変ご無沙汰しています。
今、ロンドンに住んでいるのですが、時より神戸が懐かしくなりishさんのブログを楽しく拝見しています。
実ははミッチャンの目と鼻の先に育ちました。ちゃきちゃきのセンター街っこです。そして、祖母はオーナーのみっちゃん(みつおさんかみつるさん)とお友達で近くの喫茶店イフで毎日のようにお茶をしていました。私もよくみっちゃんにプリンをご馳走になりました。
ミッチャン、懐かしすぎます。バレットの髪留めを買いに行くのもすごい覚悟でした。みっちゃんは実際とても優しい方だったのですが、みっちゃんを知っていても、みっちゃん以外のおじさん、おばさん店員さんはめっちゃ怖かったです。
いつもどうやってあんなたくさんの商品を山積みに陳列できたのか摩訶不思議でした。棚卸しとか大変そう。笑
懐かしい想い出です。ishさん、いつもありがとうございます!
きりん2018/07/20 09:28 AM
ミッチャンの微かな写真をこちらのブログでみつけました。http://blog.livedoor.jp/n_stitch/archives/52461653.html
ish2018/07/23 12:00 AM
きりんさん、せっかくコメントをいただいたのに返事が遅くなってすみません!ロンドンにいながらわざわざご覧いただいているとは光栄です。
おばあさまとみっちゃんのオーナーさんとがお知り合いにもかかわらず店員さんが怖かったとは、さすがミッチャン!って感じのエピソードですね。子どもって何するかわからないから嫌ってたのかなあ。
ご紹介いただいたミッチャンの写真が載ってたブログ主のkuroさんとは、リアルに何度かお目にかかったことがある知り合いです。あの方も昔の神戸が好きなんですよね。
またちょくちょく新しいほうのブログも覗きに来て下さいね!
岡ちゃん2018/08/13 07:46 PM
ミッチャン〜懐かしいなぁ、サンチカの八百丑レストランをチョイとサンプラザに行ったらミッチャン。背の高い店主に触ったらダメと言われながら(^^)
サンセット通り2階の手軽な洋食屋さんの名前を失念。支配人は前田さんだけ記憶に。ドレッシングが美味しくて〜ポートピアホテル開店時には出店もありました。どなたか屋号を覚えてたら教えて下さい。
ish2018/08/16 01:01 AM
岡ちゃんさん>
コメントありがとうございます!
その手軽なレストランって、ひょっとして「BOON」じゃないでしょうか?確かいっときドレッシングが一般店で販売されてたこともあったと思います。こちらにドレッシングの作り方が載っていますよ。
http://yomocame.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/boon-44ae.html
岡ちゃん2018/08/19 10:18 PM
ありがとうございました。
BOONでした!支配人の前田さんだけ覚えてました。駅前の中華屋「ほうらん亭」の豚まんも美味しい記憶です。不二家レストランのお隣やったかな?サンチカのカポネの手打ちラーメンも・・・
ドレッシング作りトライさせていただきます。
有難うございました。
ish2018/08/20 01:49 PM
岡ちゃんさん>
やはりそうでしたか!正解で良かったです。
カポネねえ、懐かしい名前ですねえ。
とんかつの武蔵も元町に移転しましたが、なんとかがんばって欲しいです。
アキラン2019/03/18 12:53 PM
懐かしいお店の名前を拝見して懐かしいです
まず、「ミッチャン」では棒の先についたコーラの飴が目当てでしたが、いつもお店のおじさんから「触ったら割れるッ!!」って注意されましたね
そして、大好物の不二家レストランのカレーライス!あの味が忘れられません
ただ、当時、不二家のカレーに非常に似た味のカレーのお土産をもらった覚えがあります
それはオリエンタルホテルのカレーなのですが、お持ち帰りと称して、ビニールの袋に無造作に入ったカレーのルーを食べたところ、「不二家のカレーはオリエンタルホテルのカレーやん」って言ったのを覚えています
そして、月日は流れ、数年前に神戸開花亭のカレーを食べたところ、その味に近いように思えました
まぁ、子供の味覚ですし、年月が経っていますので定かではありませんが、、、懐かしいです
ish2019/03/21 12:18 AM
アキランさん>
やはり皆さんなにがしかの怖い(笑)思い出をお持ちなんですねえ。
それ故に余計に記憶に残ることになったんでしょう。
子供の頃不二家には何度も行きましたが、カレーは食べたことがありません。記憶の味に勝るものはないといいますから、いつまでも心に残ることでしょうね。
ノリコ2019/05/18 10:01 PM
懐かしのミッチャン!
やはり閉店だったのですね。
還暦過ぎた今も、父の転勤で長い休み毎に尋ねた神戸の街が忘れられません。
ミッチャン、無上の楽しみでした。トアロードのドンクのサンドイッチの美味しかった事。当時東京には美味しいパンも舶来品も神戸の足元には及ばなかったと思います。
父の愛読書だった、神戸味覚地図という本が又読みたくてAmazonで購入。涙が出ました。むさし、菱阿見、金龍閣、ドンナロイヤ。ブーン。
タイムマシンが欲しいです。
ish2019/05/20 11:23 AM
ノリコさん>
昔からのお店はさすがに少なくなっていますが、挙げられたお店の中では、むさし・金龍閣・ドンナロイヤががんばってはるようです。ブーンもよく行きました。ドレッシングがスーパーで売ってた時期もありましたねえ。
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